« やっとネットにつながった。(感動!) | メイン | 残念! »

今更ながら台風の話。

今回も凄い台風でこちら大隅側は様々な場所で被害が出ました。
去年の台風も然る事ながら今回の台風は、それに輪をかけ、雨、風が凄い状況。
時折吹く雨風は、これは台風ではなく竜巻なのではないか?と思わせるような
異常な暴風が吹き荒れました。

これだけの内容では、その凄さは伝わるようで伝わらないかもしれませんね。
まず雨は、正しくバケツを引っくり返すような大雨で、
こんな雨は私の人生上でみても、目視観測至上ダントツで1位記録です。^^;
地域によっては年間降水量に匹敵する大雨が2日掛けで降るのだからそうかもしれないですね。

風も凄かった。
何せその雨が瓦に当たり、暴風が瓦と瓦(上下瓦同士)の隙間に入れ込むおかげで、
方角上、南側の部屋は雨漏りが起こる始末。
瓦は勿論何枚か飛んだり割れたりしたのですが、割れていない所でも天井から雨漏りが発生。
PC機材等置いている部屋は南西方向なのですが、雨漏りはするし吹き返しは来るし
最悪、機材が雨漏りで壊れる事は覚悟してしまう状況下でした。(汗)

今までの台風では幾ら風や雨が凄いといっても、私のような成人男性クラスの人だと、
暴風圏内でも出ようと思えば家から出て周りの状況や家の被害状況を確認できるのですが、
今回は雨風が凄すぎて、その家屋被害の確認程度の事も出来ないのです。

ようやく出れる状況になった所で確認した所、自宅敷地にある木は
倒れたり折れたりしているのが3本程度。
近所の崖が軽くなだれていたり崩れてたりしました。

・・・と、何故今更ながら、台風の内容を書くことにしたかというと。
久しぶりに何でも掲示板を見たの(勿論ROMだけ)ですが、気分が釈然としないのです。(大汗)
垂水市内で亡くなった方の書き込みなのですが、意外と大隅地方の状況は伝わってないの?
と感じさせられた訳です。

責任あるのは「本人」・「家族、集落、地域」・「行政」、自分の身は自分で守る時代。
はぁ?

様々な意見あるだろうけど、そんな事が出来れば誰も苦労しない。
人ひとりの存在なんて、他人が凶器を持った時点で守れないのが現状じゃないですか。
自分自身で身を守れたら、女性も夜の一人歩きも苦労しないと思うのです。

私の場合、今回の台風は、暴風圏内に入りすぐに自宅電気がストップ。
世間の状況は、ラジオを聞いていて垂水市内の崖崩れを知りました。
地域防災放送は雨風で聞けないどころか電気が来ないから放送さえない。
電気が来たのは、台風がゆうに過ぎ去った水曜日です。

田舎に住む老人の方が何キロか先にある街に足を運び、電池を購入しラジオで状況を仕入れる。
ひとり暮らしの老人の方は、免許持ってないとか、危ないから・・・と回りが運転を許さない方もいて、
行動できる範囲が極めて限られやすいのです。
台風の状況も分かりにくくそれに不安を感じるから、寄り添うように集まっていたのでしょう。

自己責任なんて本人がかわいそうだよ。

何も知らない側は、そんな不便な地域は売り去ってここに来なよ。
なんていうがその地域で生まれ、その地域の人々と共に育ち、その地域で生涯の相手と出会い、
子供が生まれ一喜一憂・一進一退を過し、時としては生涯の相手が永遠に眠る地域なのでもある。
苦労して守ってきた土地や家を、そうそうやすやすと他人に引き渡すなんて、
人によっては先祖に申し訳ないとも感じるのではないだろうか。
不安を皆で過ごした結果がこのような形で命を落とし、居た堪れない死を迎えた結果が自己責任。
そんなことは、私は腐っても言えないです。

ちなみに下の写真は、自宅に程近い所の写真です。

blgimg001


辺り一面が水浸し。(大体2キロ四方・台風の翌日)
若い人間は車に乗れるといっても写真であるとおり、ダンプでさえ水没です。
一般自動車なんて、私の車なら8割水没しそうな勢いです。
成人でさえ、移動に支障をきたすのです。

老人の死が、本人・地域・行政の管理不行きなら、水没した家もそこの住人も、被害地域も
本人の責任であり、地域の責任であり、行政の責任であるといえるのだろうか。
自分の身は自分で守れる力のある方は被災側の立場に立っても、
以後、募金や援助など当てにしないで欲しいと思うのである。

また人助けとは自己責任又は自己管理能力の無い人を助けるお人好し程度の感覚なのだろうか。
助ける側は大抵が何らかの自己信念を持ち、その信念に基づいて行動しているはずだが、
今の時代は、それは単なるお人好し程度にしか思われない世の中なのかと考えると残念に思う。

人が生きる歴史の中で、溺れた人を救出したところ、救出後助けた側が力尽きて死んでしまう。
このような助けた側の悲劇は多く存在するが、それがお人好しの一言で済まされた日には、
亡くなった側は死んでも浮かばれないのではないか。

助かる側も助けられる側も、その時を早く時間が過ぎて欲しいと願う側も、全てが必死なのである。

以上、上の内容が不快に感じた方もいると思うのです。
だけど、同じ県内に住む人間が少しでも分かってあげないでどうするのですか?
という事。

ネコが車に牽かれ死んでいると、可哀想に感じる。
それと同じ事が事故でもあり、災害でもある。
自己の意図とは遠く離れた所から災害がやってくるのである。
この責任は、本人でも地域でも行政の責任でもなく、利便を追求し自然バランスを犯した
我々、人間全ての責任なのである。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.synapse-blog.jp/t/trackback/190270/5997154

今更ながら台風の話。を参照しているブログ:

コメント

こんばんは。
いや~、404さんのお宅の辺りも大変な状況だったのですね。
水が引いたら引いたで、その後また大変そうですわ。
あまりに大きい力で引っ掻き回されると、その真っ只中にいる時は
ただただジッと耐えるのみ。後の事は後で考えよう・・・って気分に
なってしまうと言うか、ならざるを得ないです(汗)
これ、台風などの災害にだけ言えることでもないですが ^_^;
「自己の責任」「行政の責任」
それらはもちろん存在するのだろうし、だから全否定はできないけれど
そこを前面に押し出した話をされると、ものごっつ人としての温かみに
欠けるよなぁ。。。と、淋しい~~~気持ちにさせられます。

こんばんは。
いつも書き込みありがとうございます。(^^)
totto*teruri さんの住まれている地域も大変だったのですか?
幸い私の自宅に関しては、瓦だけで済んでホッとしています。

回りが台風の片付けしている所に通り過ぎる選挙カー。
「皆様の住みよい社会を・・・」とか言っていたのですが、
今住みよくなるように片付け手伝ってくれ!
と、言いたくなりました。(大汗

ところで、もしかすると内容的に不快感を与えたかもしれません。
その時は申し訳ないです。

>後の事は後で考えよう・・・
そうなのですよね。
なるようにしか、ならないからしょうがない。
と、その最中は時が早く過ぎる事ばかり考えてしまいますね。
崖崩れの前兆では地響きも聞こえるといいますが、
今回の雨風はそれをかき消す程の凄さがあったように感じます。
年配の方になるとそれに増して、どうしても聴力にも衰えが出てくるのですよね。
暴風時の下手な外出が危ない事は、私以上に知っている方々だと思います、

私の住む地域の方では、車持たないから迎えに来てと電話で言った所、
役場の方が公民館まで連れて行ってくれたと言っていましたが、
人の良い人ほど、他人に迷惑を掛けられないと遠慮したり我慢したりする傾向がありますよね?
遠慮・我慢と不安の結果寄り添っていたのだと思います。

この件は○○の責任で終止してはいけない内容なのかもしれません。
終止すると、そこで話は終わってしまう。
でも我々は生きている以上そこから何かを学び
生きていかなければならないのかもしれません。
最悪のケースで見ると我々が老いふけた時は、今以上の高齢化+一人暮らしが
待っている可能性もあるので、明日は我が身なのかもしれません。
そういうメッセージの意味で書かせていただきました。

自分自身がその立場の時、そんなの自分が悪いんだ。
そんな言葉は身内からの意見ならば聞く耳は持てても、
他人から言われたら聞く耳は持てないと思うのです。

「情けは人のためならず」を、「へたに他人に情けをかけると、その人が甘えるからためにならない。」という、本来の意味とまたっく違う解釈をしてる人が多いそうで・・・。なんちゅうこっちゃい。「人に情けをかけると巡り巡って自分のためになるから優しくしとけ」という美しいアジア仏教圏の思想を・・・。人生のうちじゃ「自分じゃどうしようもないこと」って必ず巡ってきますよね。じじいやばばあになるのもどうしようもないことなのに。優しくしとかんといつかバチ当たるぞー。です。「自己責任」を追及しすぎたアメリカがどうなっちょるよーということっすね。

こんばんは。
いえいえ不快感などNOTHINGですよ(*^_^*)
ウンウン。。。と頷きつつ拝読させていただきました。
何かコトが起こった時、責任の所在を追及する
声があがるのは世の常だと思います。
今回のように大元の原因が台風という‘天災’にあると
どこまでが「いたしかたない」ことだったのか、
天災と人災の線引きをどこでするのか難しいところです。
しかしいずれにしろ亡くなった方は戻ってはきません。
ただただ冥福を祈りつつ、その災害から何かを学ぼうとする姿勢が
何よりも大事ではないかと思います。

こんばんは。
返事が遅くなりました。(汗)


>春さん。

情けは人の為ならず。

誤って使われる言葉として有名ですね。
日本人の言葉である日本語は、知れば知るほど美しい文字でもあり言葉でもあるのですよね。
日本語はひらがなひとつをとっても世界に誇れる日本独自の文化遺産だと思います。
ご存知かもしれませんが、ひらがなは平安時代の女性が生み出した文字なのですよね。

漢字の文化は大陸から伝わったといわれますが、漢字の早書きから草書が生まれ
その草書がさらに早書き用に簡略した(以→い・呂→ろ・波→は・仁→に・・・へと変化した)
歴史を持つ、曲線主体の美しい文字というルーツがひらがなにはあります。

文字のルーツを知ると面白いのですが、漢字の事を「真名(まな)」ともいいます。
それに対しカタカナやひらがなは、仮名(かな)といいますが、
仮名とは、「かりな」から転じた真名に対しての仮の文字という意味を持っています。

ひらがなは平安時代以後、漢字のかわりとしてより早く書く事を目的とし
使われだした仮の文字という事から平仮名。
カタカナは漢字の一片を拝借したり省略して使われだした事から片仮名。
片仮名とは(真名から見て)不完全な文字という意味もあるそうです。

ゆえに漢字が上手く書ければ、片仮名も自然に上手く書けるようになり、
ひらがなは、漢字の崩れ方をイメージ化する事で上手くなる要素を持っているようですが、
今の学業の流れでは、「あ」は「あ」であり、「い」は「い」なのですよね。^^;

このように、ひらがなの形状ひとつをとっても美しい芸術品だと思うのですが、
それらが使われ心のこもった言葉や、含蓄を持った言葉が生まれるのですよね。


松尾芭蕉の奥の細道で有名な、

夏草や兵どもが夢の跡

この俳句を例にとっても、これだけの短い言葉の中に義経などの悲話が隠されていたり、
季語というもの用いる事でその俳句が読まれた季節と情景が浮かび上がる言葉になっている。
短い言葉に様々な情景や思いが込められていますよね。


他には島崎藤村の初恋という有名な詩がありますが、この詩に関しても大人になってから
はじめて理解できる純粋な初恋に対しての美しい描写が表現されていますよね?
この詩の中に「林檎」という言葉が出てきますが、ここで出てくる林檎を持った女性は
「知的な美しい女性」という含みを持っていると昔習った覚えがあります。
習った当初は鼻水たらしたガキ(世間を何も知らない小僧)だったので、
ふ~ん・・・程度でしか聞いていたのですが大人になった今では、
何となくでもこの詩の美しさが理解できるつもりになっています。(笑)

他には一般的によく使われる言葉で、「五月晴れ」という言葉もありますが、
この言葉も生まれた時代を考えると、今の6月の梅雨の合間の晴れの事を指していますよね。
したがって5月に用いるのは、誤った使い方になる誤使用の多い言葉かと思われます。
五月晴れそのものの言葉は、6月の時期の、梅雨の合間に時折のぞく晴れ間の事をいいますが
梅雨を浴びた草花が、その合間の晴れにより一年の中で一番青く深く映えて見える。
その様が美しい・・・という、日本ならではの四季の文化の言葉だったりします。

何だか何処かの胡散臭い先生みたいな事書いていますが、^^;
ひとつの日本語を理解すると言う事は、その美しさや心にも触れることにも繋がる。
個人的にそう思う次第です。
そういう意味で「情けは人の為ならず」も、また心の美しさが含まれていますよね?
誤使用する時点で文字としての認識はあっても、言葉の持つ美しさを知らないといえるとも思います。

・・・と、ここまで書いておきながら、私自身もまだまだ自分自身が誤使用している事に
気付かない言葉が多いと思います。(大汗)
それを示すように文章が長く読みにくくまとまっていません。^^;
理屈臭くて説教臭いのもバレバレですね!  ̄|_|○


>totto*teruriさん。

既に読み疲れてしまったかもしれませんね。^^;

ところで、
>責任の所在を追及する声があがるのは世の常

そうなのですよね。
その様な方向への切り口に転じやすい世の中なのかもしれませんね。
でも変な事にその責任っていうものも曖昧な言葉なのかもしれません。

仕事で大きな失敗を犯した責任、汚職の責任。
時折見聞きする事ですが、その責任に対しての責任をその地位などから退く事と勘違い。
その時点で本当の責任は取っていないのかもしれないのですよね。
誰かが辞任しそれに対する批評もそこで終わりでは、辞任した側も批判した側も
責任というもののあり方を勘違いしているとも思います。

その程度の責任追及に拘るならば、まずは原因をひとりひとりが考える事が先なのかもしれません。
責任追及は度を越えると、過去に起こってしまった事へこだわった行為にもなりかねない。
でも今を生きる我々は今と未来に重点を置き考えなければならない使命もあると思うのです。
それが次の世代にバトンを渡すべき我々の役目なのかもしれませんね。


という事で、かなり堅苦しいない様になってしまいました。(大汗)
では。

いや、すごいですねえ。404さん理系かと思いきや、こっち方面にも詳しくていらっしゃるのですねえ。日本語の誤使用という点じゃあたしゃ人後に落ちませんので、ほんとは人のことをどうこう言えたぎりじゃありやせんのです。ところで、404さん、いろいろブログデザインのことでご相談に乗っていただいてありがとうございます。しかしほんとなんっにもわかってなくて・・・。すみませんがよろしくお願いいたします。

こんにちは。

上にて述べたものは、一部は本での受け売りでございます。
ですので私は何も詳しくはないのです。(汗)

ブログデザインに付いては良くも悪くもHTMLとCSS、
この2本立ての存在と意味を少しでも知っているかどうかで
話が短くなると思います。
これらについて知るとなるとどうしても身構えてしまいますが、
少しでも使い方が分かってしまうと身構える必要もない事に気付くと思います。

但し見栄えに拘れば拘るほど、その分難易度が高くなりドツボにはまりやすい。
という要素はあるのかもしれません。^^;
まずは身構えることなく、徐々に触れていくと良いかもしれないです。
では。

コメントを投稿

更新ブログ

最近のトラックバック

その他のリンク


牛飼いとアイコンの部屋
牛飼いとアイコンの部屋


シナプスぶろぐ
シナプスブログ

♪BGM♪
Powered by Six Apart