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皆さんのブログを拝見するたび思うこと

皆さん話題が豊富で、書き込みやブログの作りから心がこもってるな~
と感じることが多い。
先日トラバを頂いた木っ葉美人さんのサイトも拝見したのですが、
田舎暮らしの杉花粉には強い(笑)私から見ても葉っぱと名称にはサッパリでした。
残念!^^;

今のネット社会に置いては度々話題に上がる匿名性とそれによるマイナスイメージなど
叫ばれることもしばしばですが、ここブログ間には心通う人間通しのやり取りがあり
凄くいい雰囲気に感じます。

マスコミやインターネットによる活字主体や近況による各人間の精神面も原因にあるのかな?
対等な会話であるものがいつの間にか上下の関係を感じるものであったり、
いざ立場が苦しくなったならそれをここぞとばかりに追い詰めたりと感じることもしばしば。
結論から言えば同じ社会で同じ時を過ごす同じ生き物かその団体ですよね。

「百聞は一見に如かず」

という諺から見られるように、言葉そのものは言霊の葉っぱに過ぎず
その人の人間性は、表情やしぐさ等に言霊の葉が合わさる事で初めて分かるものなのも
と感じます。
植物の葉にしても季節や天候により緑の深みの見え方も様々。
人間も神のように完璧な人なんているわけもなく、
日々の心次第で言霊の葉は大きく様変わりするのかもしれないと感じるのです。

所詮書き込みだけでその人の人間性を知ろうとする事に無理があるのかな?
活字主体の風潮や良し悪しの天秤に自分自身が流されていないかな?
私自身にも問いてみたいと思うのです。


と書き込んだわけは、JRの一件。
私が車掌の立場であったなら様々な事を考えた結果同じ行動をしていたかもしれない。
散々考えた結果が批評を受ければ、落ち込むだろうな~。

到達時間が一番早いからJRに乗車した。
事故があったからやじ馬根性で駆けつけた。
事故の張本人で運良く無傷だったが、仕事に遅れそうだったから仕事に向かった。
謝罪で頭が痛かったから、一時の気分転換で気持ちを切り替えたかった。
視聴率が稼げると思い真実を主張し放送した。

それらが本当に起きていた事なのか知る由もなく勝手な妄想も含み入れ、
でもどこかで他人事の気持ちを残しながらこうやって書き込む自分自身。
どれもがしょうがない正論という一面を見せながらも、
所詮人間なんて誰もが自分勝手なんだの一面を感じずにいれない。

JRの体制が悪いという意見も、そのとおりの意見。
儲け主義や他人任せ、専門家任せも大事、これもそのとおりの意見。
JRも言いたいことがあろうに今の世論上言えないよ、これもそのとおりの意見。

じゃぁ自分自身の身近の問題で捉えた場合、
勤務中又は車で運転中困った人又は事故車両を発見し次第
自我の都合とは切り離し自分なりに出来る手助けをしているか。
救急車や救助員などの専門家に任せた方が安全だなんて逃げの言葉を使っていないか。
火事があったら・・・・・
困った人がいたら・・・・・・・・

どこかで欠けている私自身が言霊の葉を前面に押し出し一件について語るには
ここまで散々書き込んでおきながらも実際の一部始終も見ず知らずの意見に危険にも感じる。
欠けた人間が欠けた人間を裁くのは身の程知らずではないか。

何かの原因を突き詰めるには、欠落した一面を見る必要性もあれば、
事情を知ろうとする必要性もあるのではないかと感じる。
欠落した一面はマスコミが大きく抉る一面もあるだろう。
事情を知る必要性と思わざるおえない一面はダイヤそのものに非常にシビアな面でもあり、
一分一秒を争うような一面がJR及び関係者にニーズとして求められ利用されたことにより
JRに圧し掛かった大きなプレッシャーそのものであるかもしれない。
「お客様は神様です」
の世論に与えた功罪は大きいのではないだろうか。

商売もインターネットも対等な人通しの関わりと尊重こそが繁栄を生み
人や技術を育てるプラス要素になるのではないか。
誰かが誰かに生かされ、誰かの心を感じながら出来うる範囲の何かを尽くす。
世の中に何かが欠落しているのかな?
欠けた人間である私には知る由もない。

って事で、世の中ではこんな事もあったみたいですね。
国鉄も廃止された地域に済む人間の戯言ととっていただければ。^^;

200505

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コメント

こんばんわ
なるほどと思いながら読ませて戴いてます
>言霊の葉
>緑の深みの見え方も様々
そこなんですね・・
例えば海は空の鏡です
青く澄み切った空を映すのは海
空がどんよりとしてれば海は曇りそして荒れる・・んですよね

>所詮人間なんて誰もが自分勝手なんだの一面
だけど
>欠けた人間である私には
これこそをしっている欠けていないErr404さんは
僕などよりも遥かに進んでいるといわざるえません
な・の・で、今後ともご指導お願い致します(おじぎ

ところで
スタイル・・一部パクらせて戴きました(大汗です
でわ~

こんばんは。
私の文章は読みにくく大変だったのでは?^^;
本人もそう思ってらしげで、内容もうまくまとまってないらしげです。(笑)
それと何でも~にも同じ様な内容が出ていたことに後で気付きました。
タイミングが悪かったかも。^^;

>海は空の鏡

凄く、ハッ!とする言葉ですね。^^
とても遠くに存在する太陽の光りを受けているだけ。
たったそれだけの事なのに光りに温かさが加わり、その作用のおかげで
対流による天候が営まわれ、私達の日々の暮らしにも安定と不安定を与える。
そんな遠くに存在するものにさえ打ち勝つことが出来ない。
人間って宇宙からみて微小な存在なのかもしれませんね。

昔の子供の頃の作文とかみると、若さゆえ経験の少なさゆえの青二才の内容に苦笑いの
微笑みや安堵を覚えるように、多少、事足りない程度が人間らしいかもしれないですね。
欠けた人間で必要充分なのではないかな?
意見が違う時も同意見の時も、情緒不安定な時も^^;私は私であり貴方は貴方である。
時に変な事も言ってるし矛盾してる事言ってるけど、人間だししょうがないよね?
と、こんな感じで見て頂けたらうれしいです。(笑)


ところで人間って面白いものですよね?

愛が足りなければ愛が欲しい。
金がなければ金が欲しい。
○○がないから○○が欲しい。

人間って足りない所や欠けてる所があれば、そこを埋めたくなる欲求があるかもしれないけど、
無いものねだりを自分が自分に求めるべきが、知らずの内に他人に求める事もあったりする。
JRの件にしても、幾らJRが悪くとも微細ながらもそういう部分もあるのかな?
どうなのかな?

JR→何時自分の身に起きてもおかしくない。

でもイラクでの犠牲者に対しては、そんな事が世界では起こってるんだ。
ってどこかで思う部分があったり。

自宅の庭にいた沢山のアリに気付き殺虫剤で殺す。
特に何とも思わない。

どれも貴重な命で、無駄な命などひとつも無いかもしれないのに。
命の重さの矛盾も感じたりします。


こんな事書きながら、2ヶ月ぐらい前にかな?
母がカニを分けてもらったと、生きたカニを沸騰するお湯に入れる所をみたのですが、
ついさっきまで流し台でブクブクと泡吐きながらガサガサとイキのよかったカニが
お湯に入れた瞬間に足をギュッと縮めて鍋底に沈み真っ赤になること約5秒。
別なカニに至ってはマナ板で腕を取られ、本体だけになったカニが近くに置いてあった
バケツの中に入れられた。
あげて見るとブクブクと泡吐いていたのですが、
命とか命の重みって一体何なのだろうな~。
としみじみ感じました。


と、ここまでの一連の私の内容はもしJRの件のご遺族の方がみてしまったら、
不謹慎極まりないものと思います。

ただある私の知人が末期癌による最後の退院の際、外にいるアリを指で追いかけるマネをして
「こんなアリでも命が欲しいんだよな。」
と言った一言も今だに頭の片隅から離れてやまないです。

命とは何か。
命の重みとは一体何なのか。
自己都合による失う存在への悲しみや残された自分自身の不安感で追悼するぐらいならば
頑張って生きようとした事を讃え追悼し、我々が学び生きていくしかないと考えます。
同じ引きづる行為なら、悲しみよりその人の思いを引きづる方がいい。
いる筈の人がそこにいない事への悲しみや、亡くなった原因に怒りや後悔をを引きずると、
亡くなった人も心配でそこへ49日以上留まり成仏できかねない。

我々に出来る事なのは、無くなったものは今まで視界に写る存在だけで、
故人は49日かけて新しい門出を迎えると思うこと。
想いの分身は我々の心に何時までもあり、我の気が滅入った時には夢の中で一喝してもくれる。
この世に存在したことと共に過ごした事を忘れない事なのかもしれないですね。
貴方の分まで必死に生きる。
それも良いかもしれないけど、貴方の想いのかけらを心に引き継いで生きる。
こちらの方が自分が自分らしく、自分も相手も窮屈なく生きれるのかもしれないですね。

仏の教えとは凄く良い事を説いていると思います。
私は私で分かったふりだけで、多分何もわかっていないのでしょうね。^^;
長文ですみません。(汗)
では。

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